2024年3月 1日 (金)

宜賓風ピリ辛和え麺~塩・ニンニク・生姜で味付けした脆肉臊子・搾菜・クラッシュピーナッツを使用し醤油・辣椒紅油・漢方薬油で味付けしたバリエーション/宜賓燃麺(イービンランミェン)

過日、この料理を夕食で食べました。

中華料理を代表する地域料理の分類には・・・
・四大菜系(山東、淮揚、広東、四川)
・八大菜系(山東、江蘇、浙江、安徽、福建、湖南、広東、四川)
・十大菜系(北京、山東、江蘇、浙江、安徽、福建、湖北、湖南、広東、四川)
・十二大菜系(北京、山東、陕西、河南、江蘇、浙江、安徽、福建、湖北、湖南、広東、四川)
※上記は百度百科から引用しました、分類は諸説あります

定番は八大菜系までで、十大菜系以上になりますと、人によって分類が異なります。
さらに十四大菜系、十六大菜系もありますが、割愛します。

今回は、宜賓燃麺(イービンランミェン)を紹介します。

菜系は、四川料理。
中国語では、川菜(チュアンツァイ)と言います。

ポピュラーな菜系で、四大菜系にも八大菜系も含まれます。

四川料理のルーツは、紀元前4世紀に記録された古蜀の料理ではないかと考えられています。
秦代から漢代にかけて、四川料理が成立したと考えられ、様々な記録で称賛されています。例えば三国時代の曹操は、郫县(ピーシェン)の煮魚料理が美味かった事を書いています。

唐代に入ると、四川料理は全国的に知られた料理となります。
その後も様々な文人に称賛れましたが、何と言っても清代に宮廷料理に取り入れられたのが、四川料理隆盛のきっかけでしょう。

俗諺に、「四川人不怕辣,湖南人辣不怕,貴州人怕不辣(四川人は辛さを恐れず、湖南人は辛くとも恐れず、貴州人は辛くないのを恐れる)」というものがあります。
中国で有数の、辛い料理を好む地域です。
しかし貴州省や湖南省とは異なり、料理の7割は辛くない料理だとも言われています。

四川料理は、成都料理、重慶料理、自貢料理の3分類されます。

宜賓燃麺は、四川省宜賓市の料理で、宜賓料理となります。

麺は、市販の乾麺の中華麺を使用しています。
乾麺とは言え、カップめんの麺とは異なり、生麺と変わらないクオリティです。

豚挽肉に生姜、ニンニク、塩で味をつけた脆肉臊子を使用しております。

薬味として長ネギ、砕いたピーナッツ、刻んだ沢庵漬けを使っております。
本当は、芽菜(ヤーツァイ)と言う四川省の青菜の漬物を使っているのですが、代用で父親が買ってくる美味しい沢庵漬けを使っています。

調味料は醤油、五香粉、ゴマ油、辣椒紅油です。

五香粉とは、5種の漢方薬(スパイス)をブレンドして粉に挽いた調味料です。
いかにも中華料理と言う香りが出ます。

辣椒紅油とは、粉唐辛子と花椒に熱した油をかけて作る、シンプルな自家製の辛味油です。

辣椒紅油はさほど辛くないので、ピリ辛の味付けです。
この料理は、そんなに辛い味付けにはしないようです。

ピリ辛ですが、辣椒紅油の辛味が利いて、五香粉の香りが利いて、とても美味いです。

豚挽肉を味付けした、カリカリに炒めた猪肉臊子(ジューロウサオズ)を使っていて、コクがあり、カリカリの食感も美味いですね。

機会があれば、別のバリエーションも紹介します。


Sorry Japanese only!


#宜賓燃麺 #豚挽肉 #長ネギ #ピーナッツ #落花生 #搾菜 #ザーサイ #醤油 #生抽王 #四川辣油 #辣椒紅油 #五香粉 #中華料理 #中国料理 #四川料理 #宜賓料理

Yi_bin_ran_mian202403010501

Yi_bin_ran_mian202403010502

| | コメント (0)

白菜と豚肉の煮込み~豚肉に下味をつけず醤油・塩・青唐辛子で味付けした汁気が多いバリエーション/猪肉炖白菜(ジューロウドンバイツァイ)

過日、この料理を食べました。

中華料理を代表する地域料理の分類には・・・
・四大菜系(山東、淮揚、広東、四川)
・八大菜系(山東、江蘇、浙江、安徽、福建、湖南、広東、四川)
・十大菜系(北京、山東、江蘇、浙江、安徽、福建、湖北、湖南、広東、四川)
・十二大菜系(北京、山東、陕西、河南、江蘇、浙江、安徽、福建、湖北、湖南、広東、四川)
※上記は百度百科から引用しました、分類は諸説あります

定番は八大菜系までで、十大菜系以上になりますと、人によって分類が異なります。
さらに十四大菜系、十六大菜系もありますが、割愛します。

今回、猪肉炖白菜(ジューロウドンバイツァイ)を紹介します。

百度百科によると、菜系は東北料理との事です。
中国語では、東北菜(トンペイツァイ)と言います。

マイナーな菜系で、四大菜系にも八大菜系に含まれません。
東京には、かなり多くの東北料理専門店があります。

中国東北地方は、7200年前の旧石器時代の、穀物栽培跡が見つかっています。
中華文明外の地、化外の地である中国東北地方は、古代の記録は多くありませんが、夏王朝の頃に葷粥(くんいく)や山戎(さんじゅう)と言う遊牧民族が出て来ます。

その後、粛慎(しゅくしん)、朝鮮族のルーツかも知れない穢(わい)、同じく朝鮮族のルーツかも知れない夫余(ふよ)、高夷(こうい)、發(はつ)、沃沮(よくそ)、高句麗(こうくり)、東胡(とうこ)、鮮卑(せんぴ)、烏桓(うがん)、挹婁(ゆうろう)の勢力が、現れては滅びました。
これらの民族は、時には中国と敵対し、時には中国に朝貢しました。

紀元前4世紀には匈奴が隆盛となり、漢王朝を破り、朝貢させていた事もありました。
漢の武帝時代に匈奴を破り、西に追いやり、代わって鮮卑が勢力を伸ばし、五胡十六国時代には中国北部には、鮮卑が進出して王朝が交代します。

後漢書には、中国東北部に穀物栽培していたと書かれています。
五胡十六国時代、鮮卑王朝の北魏の賈思勰(かしきょう)の著作、斉民要術に鮮卑の胡烩肉、胡羹法、胡飯法について書かれています。
この頃の中国東北地方には、奚(けい)や室韋(しつい)、勿吉(もつきつ)、靺鞨(まつかつ)が現れては消えています。

7世紀には女真族の渤海が起こり、10世紀には遼(契丹)が興り、北宋と対峙しましたが、配下の女真族が伸長して金を興しました。
金は北宋に攻め入り、中国北部を占領します。

13世紀にモンゴル高原にモンゴル帝国が興り、金を滅ぼし、そのまま中国北部を占領します。
14世紀に中国南部に明が興り、モンゴル帝国である元を駆逐して中国統一を果たします。

その後、女真族が満州と改名して、現在の遼寧省瀋陽を都として明朝と戦い、17世紀に明朝を滅ぼして清朝を興します。
中国東北料理が有名になるのは、これ以降です。
清朝の宮廷料理、王府料理の影響を受け、東北料理が洗練されて行きます。
清朝末に、ハルピンに移り住んだ、漢人の美食家にして有名料理人、鄭興文(テイコウブン)は、西洋料理も取り入れ、様々な料理を作り出し、東北料理を発展させました。

現在、東北料理は、中国の主要都市、そして日本に多く進出して、料理を伝えています。

池袋の中華料理屋は、東北料理店が多いです。

東北料理と言う事は、黒龍江料理、吉林料理、遼寧料理と言う事ですね。
しかし白菜は中国北部、淮河以北では好んで食べられます。
恐らく似たような料理は、山東料理、河北料理、北京料理、天津料理、河南料理、山西料理、陝西料理あたりで食べられているのではないかと推察します。

中国語料理名を分解しますと

猪肉(ジューロウ)=豚肉
炖(ドゥン)=コトコト時間をかけて煮込む調理法
白菜(バイツァイ)=白菜

ぶっちゃけ、日本語料理名の通り、白菜と豚肉を煮込んだ料理です。

面白い事に、青唐辛子が入ります。
辛味付けではなく、味の陳格をはっきりさせると言う事でしょうけれど、青唐辛子1本入れたとしても、結構辛くなりましたね。

豚肉は、生のをそのまま入れて煮ちゃうと、アクが出てしょうがないので、炒めて入れています。

この料理、味付けはシンプルですが、食べてビックリの美味さです。

豚肉は、白菜を美味くしています。

良く中国人は、東北料理に美味いものなしと言いますが、そんな事ないですよ。


Sorry Japanese only!


#猪肉炖白菜 #豚肉 #白菜 #醤油 #生抽王 #青唐辛子 #中華料理 #中国料理 #東北料理

Zhu_rou_dun_bai_cai2024030104

| | コメント (0)

ネッルール風チキンカレー~青唐辛子・コリアンダーリーフを使用し鶏肉に下味をつけず多種のホールスパイスと多種のパウダースパイスを使用した玉ネギ・トマトは少な目の汁気多目のバリエーション/ネッルール・チキン(Nellore chicken)

過日、この料理を昼食で食べました。

これまでに紹介したインド料理を、以下リンクにまとめました。
以後、このページにリンクを更新します。

http://funkyrutin.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-0cb9.html

南インド料理、料理の大分類を、以下に記します。
・カルナータカ料理…カルナータカ州の料理
・マンガロール料理…カルナータカ州ダクシナ・カンナダ県マンガロールのトゥル語話者の料理
・ウドゥピ料理…カルナータカ州ウドゥピ県の料理
・テランガーナ料理…テランガーナ州の料理
・ハイデラバード料理…テランガーナ州ハイデラバード県の料理
・アーンドラ料理…アーンドラ・プラデーシュ州の料理
・タミル料理…タミル・ナードゥ州の料理
・チェティナドゥ料理…タミル・ナードゥ州チェティナドゥ地方の料理
・ケララ料理…ケララ州の料理

南インド北東部、アーンドラ・プラデーシュ州は、ラーヤラシーマ、コースタル・アーンドラに地域分けしています。

アーンドラ料理を理解するには、アーンドラ・プラデーシュ州の歴史を知る必要があります。

アーンドラ・プラデーシュ州については、古代のヴェーダー時代、紀元前800年の叙事詩、アイタレーヤ・ブラフマナに記されています。
初期仏典、「アングッタラ・ニカーヤ(増支部)」には、十六大国の1つ、アッサカ国として書かれています。

その後、マハジャナパダス、サタヴァハナと王国は変遷し、その後、領内は分裂しましたが、紀元後3世紀に起こったパッラヴァ朝が9世紀末まで支配しました。

12世紀から14世紀半ばにかけて、カーカーティーヤ朝がこの地を領有します。

1309年、インド北部のデリー・スルターン朝に侵攻され、当時の首都、ワランガルを落とされ、以後デリー・スルターン朝に朝貢するようになります。
1323年、デリー・スルターン朝に代わり、トゥグルク朝が起こると、カーカーティーヤ朝は朝貢を停止し、そのためトゥグルク朝に侵攻され、再び首都、ワランガルを落とされ、今度は併合されました。

当初カーカーティーヤ朝に仕えていた、ハリハラとブッカの兄弟が、併合されたトゥグルク朝にそのまま仕え、反乱がおこった現在のカルナータカ州ハンビ(当時ヴィジャヤナガル)に統治のため派遣され、1336年にトゥグルク朝から独立して、ヴィジャヤナガル王国を建国しました。

1347年、ヴィジャヤナガル王国北部、現在のカルナータカ州に、バフマニー朝が興り、この地を領有しようと、ヴィジャヤナガル王国と争います。
1518年、バフマニー朝からスルターン・クリー・クトゥブル・ムルクが派遣され、その後独立して、ゴールコンダ王国が興ります。

18世紀に、フランス、イギリスがこの地に侵攻して、1792年にはイギリスの植民地となり、北部はイギリス植民地下のニザーム藩国となります。

1947年、インドは独立、1948年ニザーム藩国を併合してハイデラバード州に、1953年にその南部がアーンドラ州、1956年に両者のテルグ語圏が合併して、アーンドラ・プラデーシュ州となります。

2014年、アーンドラ・プラデーシュ州は、北部がテランガーナ州、南部がアーンドラ・プラデーシュ州に分離しました。

ネッルールは、紀元前3世紀、マウリア朝アショーカ王の版図だったと判明しています。
その後サータヴァーハナ朝に代わられ、チョーラ朝と変遷し、3世紀末にはパッラヴァ朝の版図、6世紀には盛り返したチョーラ朝の版図となりました。
チョーラ朝の支配は長く、13世紀まで続きます。

13世紀からカーカティーヤ朝、14世紀にはヴィジャヤナガル王国、16世紀にはゴールコンダ王国の版図となります。
17世紀には、拡大政策を取ったムガル帝国に圧迫され、ゴールコンダ王国はムガル帝国を宗主国とします(しかしゴールコンダ王国はその後滅亡)。

17世紀末、ズルフィカール・ハーンがカルナータカ太守となり、アルコット(ネッルール県内の都市)を首都とします。
18世紀には3次に渡るカーナティック戦争の結果、イギリス植民地となりました。
1947年に独立するまで、イギリス領となります。

ちなみに元々インドには、カレーと言う言葉も概念もありませんでした。
カレーと言う言葉は、イギリス人がインドのスパイシーな煮込み料理に勝手にカレーと言う名前を付けて、世界に広めました。
ちなみにカレーの語源は最近まで、タミル語のカリ(スパイシーな煮込み料理の具材)と言う説が有力でしたが、近年出てきた資料により、イギリスより先にケララ州に進出してきたポルトガル人が、ケララのカリと言う言葉(タミル語と同じ意味)を記録し、それを受けたイギリス人がカレーと言う言葉を生み出したと言われています。

この料理は、アーンドラ・プラデーシュ州ネッルール県の、チキンカレーです。
この料理はアーンドラ料理の1つです。

鶏肉は胸肉を使用し、下味をつけません。

南インド料理の特徴に、ホールスパイス(つまりスパイス丸まま)の使用があります。
この料理ではカレーリーフ、コリアンダーリーフ(パクチー)の他、多種のホールスパイスを使っております。

インド料理にパクチー入るの?・・・って思う方もいるかも知れませんが、南インド料理ではコッタマリと言って、定番のハーブです。
東京でも、本場さながらの味付けの南インド料理を出す店では、使われます。

ホールスパイスは、油にスパイスの香りを移して、その後そのままカレーソースで煮込んで使用します。
スパイスは粉に挽くと、すぐに香りが飛びますが、ホールスパイスは長く香りが持続します。
粉に挽いたスパイスと併用する事により、香りの時間差攻撃となります。

カレーソースの旨味は玉ネギ、トマトのそれなりに複雑な旨味です。

辛味としてチリパウダー、青唐辛子、ブラックペッパーの複雑な辛味です。
辛味の主は、青唐辛子で、唐辛子の名産地、アーンドラ・プラデーシュ州とは言え、チリパウダーは多くはありません。

スパイスの種類ですが、この料理ではホールスパイス多種、パウダースパイス多種と多いです。
パウダースパイスは、種類こそ多いものの、全体量は多くありません。

自分が考えた、インド料理やカレーをスパイシーにする技法ですが、この料理でも、使っております。

スパイスの種類は多く、ホールスパイスとパウダースパイスが時間差で香り、青唐辛子の辛味も利いて、スパイスの複雑な香りで美味いです。

次回は、アーンドラ・プラデーシュ州ネッルール県のチキンカレー、ネッルール・チキン・カレー(Nellore Chicken Curry)を紹介します。


Sorry Japanese only!

#インド料理 #南インド料理 #アーンドラ料理 #ネッルール_チキン

Nellore_chicken2024030103

| | コメント (0)

四川風豆腐の辛煮込み~豚挽肉・粉唐辛子・粉花椒を使用し醤油・塩・ピーシェン豆板醤で味付けしたバリエーション/家常焼豆腐(ジアチャンシャオドウフ)

過日、この料理を夕食で食べました。

中華料理を代表する地域料理の分類には・・・
・四大菜系(山東、淮揚、広東、四川)
・八大菜系(山東、江蘇、浙江、安徽、福建、湖南、広東、四川)
・十大菜系(北京、山東、江蘇、浙江、安徽、福建、湖北、湖南、広東、四川)
・十二大菜系(北京、山東、陕西、河南、江蘇、浙江、安徽、福建、湖北、湖南、広東、四川)
※上記は百度百科から引用しました、分類は諸説あります

定番は八大菜系までで、十大菜系以上になりますと、人によって分類が異なります。
さらに十四大菜系、十六大菜系もありますが、割愛します。

今回は、四川風の家常焼豆腐(ジアチャンシャオドウフ)を紹介します。

麻婆豆腐の菜系は、四川料理。
中国語では、川菜(チュアンツァイ)と言います。

ポピュラーな菜系で、四大菜系にも八大菜系も含まれます。

四川料理のルーツは、紀元前4世紀に記録された古蜀の料理ではないかと考えられています。
秦代から漢代にかけて、四川料理が成立したと考えられ、様々な記録で称賛されています。例えば三国時代の曹操は、郫县(ピーシェン)の煮魚料理が美味かった事を書いています。

唐代に入ると、四川料理は全国的に知られた料理となります。
その後も様々な文人に称賛れましたが、何と言っても清代に宮廷料理に取り入れられたのが、四川料理隆盛のきっかけでしょう。

俗諺に、「四川人不怕辣,湖南人辣不怕,貴州人怕不辣(四川人は辛さを恐れず、湖南人は辛くとも恐れず、貴州人は辛くないのを恐れる)」というものがあります。
中国で有数の、辛い料理を好む地域です。
しかし貴州省や湖南省とは異なり、料理の7割は辛くない料理だとも言われています。

四川料理は、成都料理、重慶料理、自貢料理の3分類されます。

家常焼豆腐(ジアチャンシャオドウフ)とは、

家常焼豆腐を中国のウィキペディア、百度百科で調べてみましたが、歴史、来歴と何も情報はありませんでした。
しかしバイトダンスの動画サイトで、四川料理系のレシピで作っている人の動画が多いため、四川料理じゃないかと思います。

調べると中国の動画サイトでもSNSでも、家常焼豆腐と麻婆豆腐はどう違うのか?と言う事について話していますが、結論は出ていない模様です。

豚挽肉、ニンニク、生姜を炒め、ピーシェン豆板醤を入れ炒め、豆板紅油を作ります。

ピーシェン豆板醤は、四川省成都市郊外、ピー県(ピーシェン)で作られる、プレミアムな豆板醤です。
あまたの四川料理に使われ、四川人から四川料理の魂とまで言われています。

だし汁、醤油、塩を入れ、豆腐を入れて煮込み、途中粉唐辛子、粉花椒を入れ煮込み、適度な濃度になったら水溶き片栗粉でトロ味をつけ、刻んだ長ネギで盛り付けます。

麻婆豆腐との違いですが、このレシピでは麻婆豆腐と違いはないと言えますね。
あえて言いますと、麻婆豆腐より少しだけ辛くしません。

今後も別バリエーションの家常焼豆腐を作ります。


Sorry Japanese only!


#家常焼豆腐 #豆腐 #ピーマン #赤唐辛子 #醤油 #生抽王 #ピーシェン豆板醤 #郫県豆瓣醤 #粉唐辛子 #粉花椒 #中華料理 #中国料理 #四川料理

Jia_chang_shao_dou_fu2024030102

| | コメント (0)

ネッルール風マトンピラフ~トマト・青唐辛子・キャラウェイ・カシューナッツ・アーモンド・コリアンダーリーフを使用し羊肉に下味をつけず多種のホールスパイス・ヨーグルト・多種のパウダースパイスを使用したカレーでバスマティライスを煮たバリエーション/ネッルール・マトン・プラウ(Nellore Mutton Pulav)

過日、この料理を昼食で食べました。

これまでに紹介したインド料理を、以下リンクにまとめました。
以後、このページにリンクを更新します。

http://funkyrutin.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-0cb9.html

南インド料理、料理の大分類を、以下に記します。
・カルナータカ料理…カルナータカ州の料理
・マンガロール料理…カルナータカ州ダクシナ・カンナダ県マンガロールのトゥル語話者の料理
・ウドゥピ料理…カルナータカ州ウドゥピ県の料理
・テランガーナ料理…テランガーナ州の料理
・ハイデラバード料理…テランガーナ州ハイデラバード県の料理
・アーンドラ料理…アーンドラ・プラデーシュ州の料理
・タミル料理…タミル・ナードゥ州の料理
・チェティナドゥ料理…タミル・ナードゥ州チェティナドゥ地方の料理
・ケララ料理…ケララ州の料理

南インド北東部、アーンドラ・プラデーシュ州は、ラーヤラシーマ、コースタル・アーンドラに地域分けしています。

アーンドラ料理を理解するには、アーンドラ・プラデーシュ州の歴史を知る必要があります。

アーンドラ・プラデーシュ州については、古代のヴェーダー時代、紀元前800年の叙事詩、アイタレーヤ・ブラフマナに記されています。
初期仏典、「アングッタラ・ニカーヤ(増支部)」には、十六大国の1つ、アッサカ国として書かれています。

その後、マハジャナパダス、サタヴァハナと王国は変遷し、その後、領内は分裂しましたが、紀元後3世紀に起こったパッラヴァ朝が9世紀末まで支配しました。

12世紀から14世紀半ばにかけて、カーカーティーヤ朝がこの地を領有します。

1309年、インド北部のデリー・スルターン朝に侵攻され、当時の首都、ワランガルを落とされ、以後デリー・スルターン朝に朝貢するようになります。
1323年、デリー・スルターン朝に代わり、トゥグルク朝が起こると、カーカーティーヤ朝は朝貢を停止し、そのためトゥグルク朝に侵攻され、再び首都、ワランガルを落とされ、今度は併合されました。

当初カーカーティーヤ朝に仕えていた、ハリハラとブッカの兄弟が、併合されたトゥグルク朝にそのまま仕え、反乱がおこった現在のカルナータカ州ハンビ(当時ヴィジャヤナガル)に統治のため派遣され、1336年にトゥグルク朝から独立して、ヴィジャヤナガル王国を建国しました。

1347年、ヴィジャヤナガル王国北部、現在のカルナータカ州に、バフマニー朝が興り、この地を領有しようと、ヴィジャヤナガル王国と争います。
1518年、バフマニー朝からスルターン・クリー・クトゥブル・ムルクが派遣され、その後独立して、ゴールコンダ王国が興ります。

18世紀に、フランス、イギリスがこの地に侵攻して、1792年にはイギリスの植民地となり、北部はイギリス植民地下のニザーム藩国となります。

1947年、インドは独立、1948年ニザーム藩国を併合してハイデラバード州に、1953年にその南部がアーンドラ州、1956年に両者のテルグ語圏が合併して、アーンドラ・プラデーシュ州となります。

2014年、アーンドラ・プラデーシュ州は、北部がテランガーナ州、南部がアーンドラ・プラデーシュ州に分離しました。

ネッルールは、紀元前3世紀、マウリア朝アショーカ王の版図だったと判明しています。
その後サータヴァーハナ朝に代わられ、チョーラ朝と変遷し、3世紀末にはパッラヴァ朝の版図、6世紀には盛り返したチョーラ朝の版図となりました。
チョーラ朝の支配は長く、13世紀まで続きます。

13世紀からカーカティーヤ朝、14世紀にはヴィジャヤナガル王国、16世紀にはゴールコンダ王国の版図となります。
17世紀には、拡大政策を取ったムガル帝国に圧迫され、ゴールコンダ王国はムガル帝国を宗主国とします(しかしゴールコンダ王国はその後滅亡)。

17世紀末、ズルフィカール・ハーンがカルナータカ太守となり、アルコット(ネッルール県内の都市)を首都とします。
18世紀には3次に渡るカーナティック戦争の結果、イギリス植民地となりました。
1947年に独立するまで、イギリス領となります。

ちなみに元々インドには、カレーと言う言葉も概念もありませんでした。
カレーと言う言葉は、イギリス人がインドのスパイシーな煮込み料理に勝手にカレーと言う名前を付けて、世界に広めました。
ちなみにカレーの語源は最近まで、タミル語のカリ(スパイシーな煮込み料理の具材)と言う説が有力でしたが、近年出てきた資料により、イギリスより先にケララ州に進出してきたポルトガル人が、ケララのカリと言う言葉(タミル語と同じ意味)を記録し、それを受けたイギリス人がカレーと言う言葉を生み出したと言われています。

この料理は、アーンドラ・プラデーシュ州グントゥール県の、チキンピラフです。
この料理はアーンドラ料理の1つです。

プラオ=ピラフ

プラオの起源はメソポタミアで、ヨーロッパに伝わりピラフになり、インドに伝わったのがプラオになりました。
古い記録では、紀元前4世紀のアレクサンドロス3世のマケドニア王国で、同じ時期にウズベキスタンでもこの料理の記録があります。
インドでは、紀元前にこの料理の記録があります。

まずチキン・ヴェップドゥ・・・汁気の少ない鶏肉のスパイシーな炒め煮を作ります。
チキン・ヴェップドゥは、鶏肉に多種のパウダースパイスでマリネして、多種のホールスパイスと共に炒め煮しています。

ホールスパイスは、油にスパイスの香りを移して、その後そのままカレーソースで煮込んで使用します。
スパイスは粉に挽くと、すぐに香りが飛びますが、ホールスパイスは長く香りが持続します。
粉に挽いたスパイスと併用する事により、香りの時間差攻撃となります。

カレーソースの旨味は玉ネギ、トマト、ヨーグルトの複雑な旨味です。

辛味としてチリパウダー、青唐辛子、ブラックペッパーの複雑な辛味です。
唐辛子の名産地であるアーンドラ料理なので、チリパウダーはたっぷりの量使っています。

チキン・ヴェップドゥにバスマティ・ライスを入れて炒め、水を入れてバスマティ・ライスに火が通り、汁気がなくなるまで炊き込みます。

このレシピ、もう少し凝ったレシピにしたら、ビリヤニになります。
つまりビリヤニの簡易版レシピ。
しかしビリヤニに負けないくらいたっぷり入ったホールスパイス、パウダースパイスが利いて、各々がスパイシーに香ります。

チリパウダー、青唐辛子の辛味も利いています。

あと30分かけたら、ビリヤニも作れそうですね。

次回は、アーンドラ・プラデーシュ州ネッルール県の鶏肉の炒め煮、ネッルール・チキン(Nellore chicken)を紹介します。


Sorry Japanese only!

#インド料理 #南インド料理 #アーンドラ料理 #ネッルール_チキン_プラウ

Nellore_mutton_pulav2024030101

| | コメント (0)

2024年2月27日 (火)

ネッルール風鶏肉の炒め煮~乾燥赤唐辛子・カシューナッツ・玉子・トマトケチャップを使用し玉ネギ。トマトは使用せず鶏肉にターメリック・チリパウダー・コリアンダーパウダー・ニンニク・生姜・塩・ヨーグルトで下味をつけ数種のホールスパイスと数種のパウダースパイスを使用した汁気少ないドライなバリエーション/ネッルール・チキン・フライ(Nellore chicken Fry)

過日、この料理を昼食で食べました。

これまでに紹介したインド料理を、以下リンクにまとめました。
以後、このページにリンクを更新します。

http://funkyrutin.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-0cb9.html

南インド料理、料理の大分類を、以下に記します。
・カルナータカ料理…カルナータカ州の料理
・マンガロール料理…カルナータカ州ダクシナ・カンナダ県マンガロールのトゥル語話者の料理
・ウドゥピ料理…カルナータカ州ウドゥピ県の料理
・テランガーナ料理…テランガーナ州の料理
・ハイデラバード料理…テランガーナ州ハイデラバード県の料理
・アーンドラ料理…アーンドラ・プラデーシュ州の料理
・タミル料理…タミル・ナードゥ州の料理
・チェティナドゥ料理…タミル・ナードゥ州チェティナドゥ地方の料理
・ケララ料理…ケララ州の料理

南インド北東部、アーンドラ・プラデーシュ州は、ラーヤラシーマ、コースタル・アーンドラに地域分けしています。

アーンドラ料理を理解するには、アーンドラ・プラデーシュ州の歴史を知る必要があります。

アーンドラ・プラデーシュ州については、古代のヴェーダー時代、紀元前800年の叙事詩、アイタレーヤ・ブラフマナに記されています。
初期仏典、「アングッタラ・ニカーヤ(増支部)」には、十六大国の1つ、アッサカ国として書かれています。

その後、マハジャナパダス、サタヴァハナと王国は変遷し、その後、領内は分裂しましたが、紀元後3世紀に起こったパッラヴァ朝が9世紀末まで支配しました。

12世紀から14世紀半ばにかけて、カーカーティーヤ朝がこの地を領有します。

1309年、インド北部のデリー・スルターン朝に侵攻され、当時の首都、ワランガルを落とされ、以後デリー・スルターン朝に朝貢するようになります。
1323年、デリー・スルターン朝に代わり、トゥグルク朝が起こると、カーカーティーヤ朝は朝貢を停止し、そのためトゥグルク朝に侵攻され、再び首都、ワランガルを落とされ、今度は併合されました。

当初カーカーティーヤ朝に仕えていた、ハリハラとブッカの兄弟が、併合されたトゥグルク朝にそのまま仕え、反乱がおこった現在のカルナータカ州ハンビ(当時ヴィジャヤナガル)に統治のため派遣され、1336年にトゥグルク朝から独立して、ヴィジャヤナガル王国を建国しました。

1347年、ヴィジャヤナガル王国北部、現在のカルナータカ州に、バフマニー朝が興り、この地を領有しようと、ヴィジャヤナガル王国と争います。
1518年、バフマニー朝からスルターン・クリー・クトゥブル・ムルクが派遣され、その後独立して、ゴールコンダ王国が興ります。

18世紀に、フランス、イギリスがこの地に侵攻して、1792年にはイギリスの植民地となり、北部はイギリス植民地下のニザーム藩国となります。

1947年、インドは独立、1948年ニザーム藩国を併合してハイデラバード州に、1953年にその南部がアーンドラ州、1956年に両者のテルグ語圏が合併して、アーンドラ・プラデーシュ州となります。

2014年、アーンドラ・プラデーシュ州は、北部がテランガーナ州、南部がアーンドラ・プラデーシュ州に分離しました。

ネッルールは、紀元前3世紀、マウリア朝アショーカ王の版図だったと判明しています。
その後サータヴァーハナ朝に代わられ、チョーラ朝と変遷し、3世紀末にはパッラヴァ朝の版図、6世紀には盛り返したチョーラ朝の版図となりました。
チョーラ朝の支配は長く、13世紀まで続きます。

13世紀からカーカティーヤ朝、14世紀にはヴィジャヤナガル王国、16世紀にはゴールコンダ王国の版図となります。
17世紀には、拡大政策を取ったムガル帝国に圧迫され、ゴールコンダ王国はムガル帝国を宗主国とします(しかしゴールコンダ王国はその後滅亡)。

17世紀末、ズルフィカール・ハーンがカルナータカ太守となり、アルコット(ネッルール県内の都市)を首都とします。
18世紀には3次に渡るカーナティック戦争の結果、イギリス植民地となりました。
1947年に独立するまで、イギリス領となります。

ちなみに元々インドには、カレーと言う言葉も概念もありませんでした。
カレーと言う言葉は、イギリス人がインドのスパイシーな煮込み料理に勝手にカレーと言う名前を付けて、世界に広めました。
ちなみにカレーの語源は最近まで、タミル語のカリ(スパイシーな煮込み料理の具材)と言う説が有力でしたが、近年出てきた資料により、イギリスより先にケララ州に進出してきたポルトガル人が、ケララのカリと言う言葉(タミル語と同じ意味)を記録し、それを受けたイギリス人がカレーと言う言葉を生み出したと言われています。

この料理は、アーンドラ・プラデーシュ州ネッルール県の、鶏肉の炒め煮です。
この料理はアーンドラ料理の1つです。

鶏肉は胸肉を使用し、ターメリック、チリパウダー、コリアンダーパウダー、生姜、ニンニク、塩、ヨーグルトで下味をつけます。

南インド料理の特徴に、ホールスパイス(つまりスパイス丸まま)の使用があります。
この料理では、数種のホールスパイスを使っております。

ホールスパイスは、油にスパイスの香りを移して、その後そのままカレーソースで煮込んで使用します。
スパイスは粉に挽くと、すぐに香りが飛びますが、ホールスパイスは長く香りが持続します。
粉に挽いたスパイスと併用する事により、香りの時間差攻撃となります。

カレーソースの旨味として、玉ネギは使用しておりません。
調味料でもありますが、トマトケチャップ、そして料理に入れる玉子、ホールで入れているカシューナッツも旨味の一助となります。

辛味としてチリパウダー、乾燥赤唐辛子のそれなりに複雑な辛味です。

スパイスの種類ですが、この料理ではホールスパイス数種、パウダースパイス数種とそれなりの多さです。

自分が考えた、インド料理やカレーをスパイシーにする技法ですが、この料理でも、使っております。

スパイスの種類はそれなりに多く、ホールスパイスとパウダースパイスが時間差で香り、チリパウダー、乾燥赤唐辛子の辛味も利いて、スパイシーで美味いです。

次回は、アーンドラ・プラデーシュ州ネッルール県のマトンピラフ、ネッルール・マトン・プラウ(Nellore Mutton Pulav)を紹介します。


Sorry Japanese only!

#インド料理 #南インド料理 #アーンドラ料理 #ネッルール_チキン_フライ

Nellore_chicken_fry2024022704

| | コメント (0)

牛肉とジャガイモの煮込み~牛肉に中国濃い口醤油・オイスターソースで下味をつけ醤油・塩で味付けした汁気が少な目のバリエーション/土豆焖牛肉(トゥドゥメンニウロウ)

過日、この料理を食べました。

中華料理を代表する地域料理の分類には・・・
・四大菜系(山東、淮揚、広東、四川)
・八大菜系(山東、江蘇、浙江、安徽、福建、湖南、広東、四川)
・十大菜系(北京、山東、江蘇、浙江、安徽、福建、湖北、湖南、広東、四川)
・十二大菜系(北京、山東、陕西、河南、江蘇、浙江、安徽、福建、湖北、湖南、広東、四川)
※上記は百度百科から引用しました、分類は諸説あります

定番は八大菜系までで、十大菜系以上になりますと、人によって分類が異なります。
さらに十四大菜系、十六大菜系もありますが、割愛します。

今日は、土豆焖牛肉(トゥドゥメンニウロウ)を紹介します。

菜系は家常菜(家庭料理)。

この料理は元々、ハンガリーの牛肉とジャガイモの煮込みが、旧ソ連を経て、共産国家の料理と目されるようになり、中共に伝わり、現在のように醤油で甘辛く煮た料理となりました。

焖=トロトロと長時間煮込む調理法

主食材は、牛肉とジャガイモです。
ジャガイモは、となりの農家から頂いたキタアカリです。

牛肉は酒、中国濃い口醤油、オイスターソースで下味をつけます。

味付けはだし汁、醤油、塩のみです。

そもそも牛肉とジャガイモは、相性の良い食材です。
醤油と牛肉、ジャガイモは、良く合います。
オイスターソースと牛肉、ジャガイモは、良く合います。
塩と牛肉、白菜は、良く合います。
オイスターソースの甘味は、牛肉、ジャガイモを更に美味くします。


Sorry Japanese only!


#土豆焖牛肉 #牛肉 #ジャガイモ #醤油 #生抽王 #中国濃い口醤油 #老抽王 #オイスターソース #蠔油 #蚝油 #中華料理 #中国料理

To_dou_men_niu_rou2024022703

| | コメント (0)

山西風挽肉入りスープ刀削麺~豚肉・小松菜を使用しスープに醤油・塩・砂糖・ラードで味付けした汁気たっぷりのバリエーション/山西肉湯刀削麺(シャンシーロウタンダオシャオミェン)

過日、この料理を昼食で食べました。

中華料理を代表する地域料理の分類には・・・
・四大菜系(山東、淮揚、広東、四川)
・八大菜系(山東、江蘇、浙江、安徽、福建、湖南、広東、四川)
・十大菜系(北京、山東、江蘇、浙江、安徽、福建、湖北、湖南、広東、四川)
・十二大菜系(北京、山東、陕西、河南、江蘇、浙江、安徽、福建、湖北、湖南、広東、四川)
※上記は百度百科から引用しました、分類は諸説あります

今回は、山西肉湯刀削麺(シャンシーロウタンダオシャオミェン)を紹介します。

山西省ですから、山西料理となります。
中国語では晋菜(シンサイ)。

山西省の歴史は古く、紀元前17世紀から11世まであった殷(商)の黄河を挟んだ北部は、現在の山西省南部でした。

紀元前11世紀の西周時代、西周の成王の弟、虞がこの地に封じられ、晋を建国します。
紀元前5世紀、晋は有力3氏が各々趙、韓、魏の3国に分裂しました。
山西省の大部分は、趙の領土となります。

その後、秦、漢、晋、五胡十六国、隋の王朝を経て、7世紀の隋末に李淵がこの地から挙兵して、唐朝を建国しました。

その後五代十国を経て、宋が取って変わりますが、華北は遼、金、元の異民族国家に占領され、漢族国家の明、その後満州族の清に滅ぼされます。
清代に、この地が初めて山西省と呼ばれるようになりました。

酸味と塩気が特徴で、隠し味に甘味を入れます。
調理法に煨(とろ火で煮込む)、烩(煮込んだ後とろ味をつけてあんかけにする)、焼(煮る)、熘(炒めたのちソースにとろ味をつける)、扒(長時間煮込む)、炒(炒める)、爆(高温で炒める)があります。

山西料理は、南路、北路、中路の3分類されます。
または、晋東南料理、晋西南料理、晋北料理、晋中料理の4分類。
東部と西部の料理の特徴が異なることから、自分は4分類を採用します。

【肉湯麺について】

麺は、乾麺の刀削麺と言うのがあったので、購入して使用しています。

刀削麺とは本来、小麦粉、塩、水で生地を作り、刀削麺用のナイフで削って鍋に入れ、茹でる麺料理です。
幅広で、長さ、幅は一定ではなく、切り口はピロピロして、厚くもちもちした食感が特徴です。
今や東京都内では、多くの刀削麺の専門店があります。

刀削麺は伝説によると、元代に被支配者層である漢民族が反乱を起こさないよう、金属製品を没収したため、それに対抗するべく持つのを許可された小さな刀で刀削麺を作ったと言われています。
刀削麺は、中国の麺料理の故郷、山西で山西4大麺の1つに数えられています。
ちなみに残りの3つは、一根麺(イーガンミェン)、剔尖麺(ティジエンミエン)、刀拨面(タオブァオミェン)。

スープは鶏の骨を茹でたものと、野菜ダシをブレンドしています。

青菜は、近所の道の駅で購入した北海道産小松菜を使っております。

炸醤臊子を使っているように見えるでしょうが、豚モモ肉を粗みじん切りにして、炒めた後スープで煮ました。

味付けはだし汁、醤油、塩、砂糖、八角、ラードです。

上には茹でた小松菜で飾っています。

つまり、辛くない麺料理ですね。
スープで煮た豚肉のコクがあって、とても美味いです。
乾麺の刀削麺ですが、ちょっと実際の刀削麺からすると遠い味かなぁ・・・これだと、次回購入はないですね。


Sorry Japanese only!


#肉湯麺 #山西肉湯刀削麺 #豚肉 #小松菜 #香菜 #醤油 #生抽王 #八角 #中華料理 #中国料理 #山西料理

Shan_xi_rou_tang_dao_xiao_mian2024022702

| | コメント (0)

ネッルール風鶏肉の炒め煮~青唐辛子・コリアンダーリーフを使用し鶏肉にターメリック・チリパウダー・ニンニク・生姜・塩で下味をつけ数種のホールスパイスと多種のパウダースパイスを使用した汁気少な目のバリエーション/ネッルール・チキン(Nellore Chicken)

過日、この料理を昼食で食べました。

これまでに紹介したインド料理を、以下リンクにまとめました。
以後、このページにリンクを更新します。

http://funkyrutin.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-0cb9.html

南インド料理、料理の大分類を、以下に記します。
・カルナータカ料理…カルナータカ州の料理
・マンガロール料理…カルナータカ州ダクシナ・カンナダ県マンガロールのトゥル語話者の料理
・ウドゥピ料理…カルナータカ州ウドゥピ県の料理
・テランガーナ料理…テランガーナ州の料理
・ハイデラバード料理…テランガーナ州ハイデラバード県の料理
・アーンドラ料理…アーンドラ・プラデーシュ州の料理
・タミル料理…タミル・ナードゥ州の料理
・チェティナドゥ料理…タミル・ナードゥ州チェティナドゥ地方の料理
・ケララ料理…ケララ州の料理

南インド北東部、アーンドラ・プラデーシュ州は、ラーヤラシーマ、コースタル・アーンドラに地域分けしています。

アーンドラ料理を理解するには、アーンドラ・プラデーシュ州の歴史を知る必要があります。

アーンドラ・プラデーシュ州については、古代のヴェーダー時代、紀元前800年の叙事詩、アイタレーヤ・ブラフマナに記されています。
初期仏典、「アングッタラ・ニカーヤ(増支部)」には、十六大国の1つ、アッサカ国として書かれています。

その後、マハジャナパダス、サタヴァハナと王国は変遷し、その後、領内は分裂しましたが、紀元後3世紀に起こったパッラヴァ朝が9世紀末まで支配しました。

12世紀から14世紀半ばにかけて、カーカーティーヤ朝がこの地を領有します。

1309年、インド北部のデリー・スルターン朝に侵攻され、当時の首都、ワランガルを落とされ、以後デリー・スルターン朝に朝貢するようになります。
1323年、デリー・スルターン朝に代わり、トゥグルク朝が起こると、カーカーティーヤ朝は朝貢を停止し、そのためトゥグルク朝に侵攻され、再び首都、ワランガルを落とされ、今度は併合されました。

当初カーカーティーヤ朝に仕えていた、ハリハラとブッカの兄弟が、併合されたトゥグルク朝にそのまま仕え、反乱がおこった現在のカルナータカ州ハンビ(当時ヴィジャヤナガル)に統治のため派遣され、1336年にトゥグルク朝から独立して、ヴィジャヤナガル王国を建国しました。

1347年、ヴィジャヤナガル王国北部、現在のカルナータカ州に、バフマニー朝が興り、この地を領有しようと、ヴィジャヤナガル王国と争います。
1518年、バフマニー朝からスルターン・クリー・クトゥブル・ムルクが派遣され、その後独立して、ゴールコンダ王国が興ります。

18世紀に、フランス、イギリスがこの地に侵攻して、1792年にはイギリスの植民地となり、北部はイギリス植民地下のニザーム藩国となります。

1947年、インドは独立、1948年ニザーム藩国を併合してハイデラバード州に、1953年にその南部がアーンドラ州、1956年に両者のテルグ語圏が合併して、アーンドラ・プラデーシュ州となります。

2014年、アーンドラ・プラデーシュ州は、北部がテランガーナ州、南部がアーンドラ・プラデーシュ州に分離しました。

ネッルールは、紀元前3世紀、マウリア朝アショーカ王の版図だったと判明しています。
その後サータヴァーハナ朝に代わられ、チョーラ朝と変遷し、3世紀末にはパッラヴァ朝の版図、6世紀には盛り返したチョーラ朝の版図となりました。
チョーラ朝の支配は長く、13世紀まで続きます。

13世紀からカーカティーヤ朝、14世紀にはヴィジャヤナガル王国、16世紀にはゴールコンダ王国の版図となります。
17世紀には、拡大政策を取ったムガル帝国に圧迫され、ゴールコンダ王国はムガル帝国を宗主国とします(しかしゴールコンダ王国はその後滅亡)。

17世紀末、ズルフィカール・ハーンがカルナータカ太守となり、アルコット(ネッルール県内の都市)を首都とします。
18世紀には3次に渡るカーナティック戦争の結果、イギリス植民地となりました。
1947年に独立するまで、イギリス領となります。

ちなみに元々インドには、カレーと言う言葉も概念もありませんでした。
カレーと言う言葉は、イギリス人がインドのスパイシーな煮込み料理に勝手にカレーと言う名前を付けて、世界に広めました。
ちなみにカレーの語源は最近まで、タミル語のカリ(スパイシーな煮込み料理の具材)と言う説が有力でしたが、近年出てきた資料により、イギリスより先にケララ州に進出してきたポルトガル人が、ケララのカリと言う言葉(タミル語と同じ意味)を記録し、それを受けたイギリス人がカレーと言う言葉を生み出したと言われています。

この料理は、アーンドラ・プラデーシュ州ネッルール県の、チキンカレーです。
この料理はアーンドラ料理の1つです。

鶏肉は胸肉を使用し、ターメリック、チリパウダー、生姜、ニンニク、塩で下味をつけます。

南インド料理の特徴に、ホールスパイス(つまりスパイス丸まま)の使用があります。
この料理ではカレーリーフ、コリアンダーリーフ(パクチー)の他、数種のホールスパイスを使っております。

インド料理にパクチー入るの?・・・って思う方もいるかも知れませんが、南インド料理ではコッタマリと言って、定番のハーブです。
東京でも、本場さながらの味付けの南インド料理を出す店では、使われます。

ホールスパイスは、油にスパイスの香りを移して、その後そのままカレーソースで煮込んで使用します。
スパイスは粉に挽くと、すぐに香りが飛びますが、ホールスパイスは長く香りが持続します。
粉に挽いたスパイスと併用する事により、香りの時間差攻撃となります。

カレーソースの旨味は玉ネギ、トマトのそれなりに複雑な旨味です。

辛味としてチリパウダー、青唐辛子、ブラックペッパーの複雑な辛味です。

スパイスの種類ですが、この料理ではホールスパイス多種、パウダースパイス多種と多いです。

自分が考えた、インド料理やカレーをスパイシーにする技法ですが、この料理でも、使っております。

スパイスの種類は多く、ホールスパイスとパウダースパイスが時間差で香り、チリパウダー、青唐辛子の辛味も利いて、複雑な香りで美味いです。

次回は、アーンドラ・プラデーシュ州ネッルール県の鶏肉の炒め煮、ネッルール・チキン・フライ(Nellore chicken Fry)を紹介します。


Sorry Japanese only!

#インド料理 #南インド料理 #アーンドラ料理 #ネッルール_チキン

Nellore_chicken2024022701

| | コメント (0)

2024年2月25日 (日)

四川風豆腐の辛煮込み~赤唐辛子・青唐辛子を使用し挽肉を使用せず醤油・中国濃い口醤油・オイスターソース・塩・ピーシェン豆板醤で味付けしたバリエーション/家常焼豆腐(ジアチャンシャオドウフ)

過日、この料理を夕食で食べました。

中華料理を代表する地域料理の分類には・・・
・四大菜系(山東、淮揚、広東、四川)
・八大菜系(山東、江蘇、浙江、安徽、福建、湖南、広東、四川)
・十大菜系(北京、山東、江蘇、浙江、安徽、福建、湖北、湖南、広東、四川)
・十二大菜系(北京、山東、陕西、河南、江蘇、浙江、安徽、福建、湖北、湖南、広東、四川)
※上記は百度百科から引用しました、分類は諸説あります

定番は八大菜系までで、十大菜系以上になりますと、人によって分類が異なります。
さらに十四大菜系、十六大菜系もありますが、割愛します。

今回は、四川風の家常焼豆腐(ジアチャンシャオドウフ)を紹介します。

麻婆豆腐の菜系は、四川料理。
中国語では、川菜(チュアンツァイ)と言います。

ポピュラーな菜系で、四大菜系にも八大菜系も含まれます。

四川料理のルーツは、紀元前4世紀に記録された古蜀の料理ではないかと考えられています。
秦代から漢代にかけて、四川料理が成立したと考えられ、様々な記録で称賛されています。例えば三国時代の曹操は、郫县(ピーシェン)の煮魚料理が美味かった事を書いています。

唐代に入ると、四川料理は全国的に知られた料理となります。
その後も様々な文人に称賛れましたが、何と言っても清代に宮廷料理に取り入れられたのが、四川料理隆盛のきっかけでしょう。

俗諺に、「四川人不怕辣,湖南人辣不怕,貴州人怕不辣(四川人は辛さを恐れず、湖南人は辛くとも恐れず、貴州人は辛くないのを恐れる)」というものがあります。
中国で有数の、辛い料理を好む地域です。
しかし貴州省や湖南省とは異なり、料理の7割は辛くない料理だとも言われています。

四川料理は、成都料理、重慶料理、自貢料理の3分類されます。

家常焼豆腐(ジアチャンシャオドウフ)とは、

家常焼豆腐を中国のウィキペディア、百度百科で調べてみましたが、歴史、来歴と何も情報はありませんでした。
しかしバイトダンスの動画サイトで、四川料理系のレシピで作っている人の動画が多いため、四川料理じゃないかと思います。

調べると中国の動画サイトでもSNSでも、家常焼豆腐と麻婆豆腐はどう違うのか?と言う事について話していますが、結論は出ていない模様です。

ニンニク、生姜を炒め、ピーシェン豆板醤を入れ炒め、豆板紅油を作ります。

ピーシェン豆板醤は、四川省成都市郊外、ピー県(ピーシェン)で作られる、プレミアムな豆板醤です。
あまたの四川料理に使われ、四川人から四川料理の魂とまで言われています。

だし汁、醤油、中国濃い口醤油、オイスターソース、塩を入れ、豆腐を入れて煮込み、途中青唐辛子の代用のピーマン、赤唐辛子・・・鷹の爪を入れ煮込み、適度な濃度になったら水溶き片栗粉でトロ味をつけ、刻んだ長ネギで盛り付けます。

ピーシェン豆板醤は、四川省成都市郊外、ピー県(ピーシェン)で作られる、プレミアムな豆板醤です。
あまたの四川料理に使われ、四川人から四川料理の魂とまで言われています。

麻婆豆腐との違いですが、このレシピでは挽肉を使わない、辛味付けに青唐辛子、赤唐辛子を使うと言ったところでしょうか?

しかし古い麻婆豆腐のレシピでは、挽肉はオプションでしたし、麻婆豆腐でレアなレシピですが、赤唐辛子や青唐辛子を入れる事はあります。

生の鷹の爪が入り、刺すように辛いです。
今後も別バリエーションの家常焼豆腐を作ります。


Sorry Japanese only!


#家常焼豆腐 #豆腐 #ピーマン #赤唐辛子 #醤油 #生抽王 #中国濃い口醤油 #老抽王 #オイスターソース #蠔油 #蚝油 #ピーシェン豆板醤 #郫県豆瓣醤 #中華料理 #中国料理 #四川料理

Jia_chang_shao_dou_fu2024022405

| | コメント (0)

«グントゥール風チキンピラフ~青唐辛子・コリアンダーリーフを使用し鶏肉にニンニク・生姜・多種のパウダースパイスで下味をつけ多種のホールスパイス・ヨーグルトを使用したカレーでバスマティライスを煮たバリエーション/グントゥール・チキン・プラオ(Guntur Chicken Pulao)